●十六間四方白星兜鉢(じゅうろくけん よほうじろ ほしかぶとばち)
兜鉢の遺物は非常に少なく、この兜鉢は『日本の美術』、『日本の甲冑』など、わが国の甲冑に関する書籍には必ず所載される代表的な一点である。かって日本甲冑界の権威であった山上八郎氏は、三重県が全国に誇り得る物の一つだと述べられた。そして文部省において詳細に研究調査の結果、重要文化財に指定された。
鵜森神社は、田原(俵)藤太秀郷をはじめ、浜田城主であった浜田家四代の霊を祀る神社で、この十六間四方白星兜鉢は、田原家にゆかりのあるものとして奉納されたといわれ、現在、鵜森神社で社宝として保存されている。
これはかって万治二年(1659)に奉納されて以来、鵜森神社にあったが、同社は神主不在で盗難の恐れがあるため、寛保二年 (1742)8月8日諏訪神社に預けられた。その後、184年後の大正15年8月16日、鵜森神社に金庫が設置されたのを機会に返納されるに至った。その間の、明治30年に諏訪神社の生川神主宅が火災に遭い、保管箱、布などを焼失して、今は兜鉢のみが残っている。
●「兜の由来」
この宝物は、藤原藤太秀郷から田原又太郎忠綱、初代浜田城主忠秀に引き継がれた代々田原(浜田)家の家宝であり、同家滅亡後はそれを直系の堀木家が保管し、祠を建てて4代の霊と共に祀っていたが盗難に遭い、後に入手した鳥取の栗田家が鵜森大明神の宝物であったことを発見し、万治2年(1659)鵜森大明神に寄進したと言われている。兜の保管箱の裏に「松平相模守内、栗田市右エ門尉寄進、万治2年(1659)1月吉日」と金文字で記され、また兜を包む白絹の袱紗の端には、「因幡国住人馬淵源三郎」という文字が五色の糸で縫い取られていた。
四日市が東海道五十三次の宿駅であった当時の旧本陣清水太兵衛旧蔵の宿帳(現在市立博物館に寄託)に承応3年(1654)5月7日と明歴2年(1656)5月3日の項で、「松平相模守池田光仲、因幡国鳥取藩御宿・・・・・」という記録が残されている。これはまさしく当時の鳥取藩主で、兜の保管箱の裏に書かれた栗田市右エ門の主人であることが分かった。
故に市右エ門の先代は、近江栗田郡に居住して田原藤太秀郷にゆかりのある家柄であったが、後に訳あって鳥取の松平相模守に仕え、江戸詰めのため東海道を往復の際、浜田に鵜森大明神と称する秀郷の霊祠があることを知り、先祖伝来の家宝を奉納することになったと思われる。
・栗田家は田原藤太秀郷の末裔であること
・栗田市右エ門は馬淵源三郎家より栗田家へ養子入籍した人物であることが判明している。
これらの事実から推測すると、この兜は田原家より栗田家に伝わったのを、さらに同家より鵜森大明神に寄進されたものであることが分かった。
●「十六間四方白星兜鉢」に関する解説
この兜鉢は、黒漆塗16枚の鉄板を矧ぎ合わせたもので“十六間”と言い、“四方白”とは前後の篠垂の付いた矧板および左右の矧板に、金または銀で鍍金が施されたものをいう。
この兜は四方に銀の鍍金がなされ、銀白色を帯びていたので“四方白”と呼ばれている。兜の中で、一番長い期間を通じて使用されたのは、“星兜”である。星とは矧板を留める鋲の鋲頭であり、意識的に表現されるようになったのは、平安時代に入ってからで、一名“厳星(いかぼし)”ともいわれる。
星には、無垢星と空星とがあり、この兜は重量軽減をはかるために空星になっている。空星とは、尖った笠形の鉄を打出し、その先端に穴を開けて釘を通し、これで矧板の重ねを留めたものである。
平安時代末期を下らない時代の特色を有する遺品ながら、鎌倉時代の響孔、南北朝以降の忍緒付鐶が付けられるなど、長く実際に使用されてきたことが知られる。兜鉢の遺物は非常に少なく、この兜鉢は『日本の美術』、『日本の甲冑』など、わが国の甲冑に関する書籍には必ず所載される代表的な一点である。言い伝えによると、この兜は、俵藤太秀郷(藤原鎌足8世の孫)が、龍神の化身である美女に頼まれて、三上山(近江富士)の大ムカデを弓矢で退治した時に、その褒賞として琵琶湖の龍神から贈られたものといわれ、この兜に祈願すると龍神の霊験あらたかに雨雲を呼ぶと伝えられており、農業を営む土地の人々は兜の前で太鼓を打ち鳴らし雨乞いをしてきた。この習わしは大正の頃まで続いていたという。因みに、俵藤太の本来の姓は藤原であるが、ムカデ退治で戴いた褒美に米俵も贈られており、その米俵はいつまでも米が出続ける俵であったという故事から、俵藤太と呼ばれるようになったといわれている。
昭和30年2月2日 国指定重要文化財に指定されました。
平成27年度から諸般の事情により、毎年10月第2日曜日に秋季大祭を行い社殿に飾られ一般公開します。併せて地元浜田舞獅子保存会より「舞獅子」奉納があります。開始時間は午後2時30分の予定です。尚、当日は午前10時より甘酒が振舞われ別名「甘酒祭り」とも言われています。