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同和地区の紹介



同和地区ホームページ開設にあたって

 いよいよ同和地区にホームページができました。
 私たちの地区は三滝川下流の南側に位置し、中町と八幡町の2町、6つの自治会からなる
規模の小さい地区ですが、人と人のつながりやふれあいを大切にしながら、
まちづくりを進めています。

四日市市民の皆さんには2・5・7・10のつく日に市がたつ「慈善橋即売場」のある
地区というとわかっていただきやすいかもしれません。
 この地区は古くから栄えた歴史あるところですが、現在は高齢化の進んだ地区でもあります。

しかし、この度、若い方々を中心とした地域の皆さんの力でホームページを開設することができ
自分たちのまちやまちづくりを紹介できることを大変うれしく思っています。
 このホームページ開設を機に、世代を超えた交流の輪が広がり、
これまで受け継がれてきた歴史を大切にしながら、
これからも新たな挑戦をしていければと願っています。


              2011年2月



同和地区連合自治会
会長 松本光文




 同和地区(中町・八幡町)は、三滝川の下流南側に位置し、
古い町で戦前は四日市一の繁華街で、
商家商工業への勤め人、農家などがあり、人情味豊な町として発展してきました。

 近くには、銀行・警察署・商工会議所・郵便局等もあり、大変住みよい町でした。
 戦後の都市計画により、道路をはじめ生活環境は充実しましたが、
市内のドーナツ現象により住宅・住民が減少し続け、今では市内で最少の地区と
なりました。
 今後は、高齢化対策が重要な課題です。
              2011年2月



同和地区社会福祉協議会
会長 水谷謙之
   


《 地区の概要 》
面積  0,12ku
世帯数 348世帯
人口  801人  男性379人  女性422人
0歳 〜 14歳  66人  (8,2%)
15歳 〜 64際 433人 (54,1%)
65歳以上    302人 (37,7%)
    平成21年4月1日現在 社協会議資料より



同和地区のご案内


 同和地区は旧四日市、即ち昔で言う四日市町のほぼ中央部に位置しています。
四日市市内に於ける一番小さな地区です。しかし、歴史は古く江戸期には出現しています。
現在は、中町、八幡町の2町です。


 同和地区の名称の由来は、明治224日に四日市と浜田および橋北地区の一部などが
合併して、四日市町として町制が施行された時に、町会議員の選挙が行われました。
その際、四日市町は従来の町割りと組の制度を基本に、下記の
6団体で再組織されました。

( 共同会 ・ 同和会 ・ 同盟会 ・ 納屋一致会 ・ 浜田同志会 ・ 橋北同盟会 )


同和会は、昔の西中町、東中町、八幡町、境町、南新町、中新町、四ツ谷新町、日之出町が
加わった地区で、以来
122年間続いた地区です。
そして、この名前が現在も地区名として受け継がれています。


 同和地区は、戦前は四日市の中央部で市内一番の繁華街を控え、中町銀座通りや
世界館・菊水館などで賑わいました。
 又、八幡町には八幡神社があり、石取り車が出ましたし、公証役場もありました。
中町には稲荷さんもありました。

 堤防では昭和
8年頃から定期市(通称こうせつ)が開かれ市民の台所を潤しました。
他の町にもそれぞれに特徴のある店があり、四日市の隆盛を支えていました。
 戦後、戦災や都市区画整理(三滝通りの新設等)、町界町名改正などがあって、
各町が分散、整理されて、今では中町、八幡町の
2町になりました。

 範囲は大凡で言いますと、西は金場新正線(三滝通り)で北町・中部、
東は高浜昌栄線に沿って北条町・北浜町、北は三滝川堤防、南は元新町、新々町と接し
囲まれた所です。

 旧西八幡町は三滝通りで西半分が通りと北町になり、中町一部は隣接町の一部が編入、
分散されました。

 社寺は八幡町、中町の稲荷さん、西福寺等が復興しています。
朝の市場も今も続いています。
 中町の栄昌堂、大福餅を始めとして戦前からの老舗が現在も続いています。

住み易い住宅地です。(四日市市史総和
5年刊参照)


旧四日市を語る会  代表   岡野繁松氏







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